「きみ」がイザナギの「キ」とイザナミの「ミ」というのは嘘

 

君が代の「君(きみ)」は、イザナギの「キ」とイザナミ「ミ」で、男女を意味しているという嘘が蔓延しています。

イザナギの「キ」は男、イザナミ「ミ」は女を意味するというのは理解できます。「いざなう男」と「いざなう女」を意味するというのは定説で、そこは正しいと思います。

しかし、「きみ」という大和言葉とは全く関係ありません。

和語の「きみ」の語源説欄には「カミと通じる」とあり、「かみ」から転じた派生語です。「かみ」という和語の意味は、「かむ」→「かむる」「かがむ」の動詞に通じ、被せる、覆う、隠れる、低い姿勢になって身を隠すと言った意味から来ています。つまり、「かみ」とは隠れていて目に見えない存在である訳です。

「きみ」が男女を意味するという嘘はもうやめましょう。

日本の国歌、君が代の「君(きみ)」は天皇を指します。

よく、古今和歌集が云々・・・詠み人知らずだから云々・・・と言われていますが、最初に詠んだ人が「君」をどういう意味で詠んだかなんて誰にもわかりません。とは言え、この和歌が詠まれた平安時代においては「君」というのは、天皇や自分の使えている君主など目上の者に使われる単語で、多くの場合は「天皇」の意味で使われていたと言われています。いずれにせよ、古今和歌集に収められている君が代は「国歌」としての歌ではありません。昔、長寿を祝う席で歌われたり、江戸時代には結婚式で歌われていたと言いますが、その歌われる場面で「君」の対象が変わるのは当然です。「ハッピバ〜スデ〜トゥユ〜♪」だって同じです。この歌の原作者が誰を思って作ったかなんてどうでもいいのです。

日本の「国歌」としての君が代は、明治初期に制定する際にその詩を“引用”し、「君」を「天皇」とはっきり位置づけ、あのメロディをつけて成立しました。引用元の詩をあーだこーだ解釈することに何の意味もありません。

平成11年に法の下で君が代が正式に国歌として定められた際も、日本国政府の公式見解は「君」は「天皇」を指すと明言されています。

その上で、「君」が「天皇」を意味するから「君が代」が“嫌い”という人がいてもいいと思います。公務員でなければ、歌いたくない人は歌わなければいいと思います。意味を捏造して、嘘をついてまで「君が代」を好きになろうというほうがよっぽど不健全です。

余談ですが、私には小学校低学年の息子がいます。毎年正月におじいちゃんの家に親戚が集まるのですが、今年たまたま「君が代」の話になって、(息子にとっての)叔母が「世界がいつまでも平和でありますように、っていう歌なんだよ」と息子に言う訳です。いやいやいや、ちゃんと意味を知っている息子にとったら「?(キョトン)」です。私が正しく意味を言い直しても、叔母は食い下がって世界平和を押してきます(笑)。子供にそんな嘘を教えるくらいだったら、君が代天皇のことを歌ってるから好きじゃないと言えばいいのに。もし息子がそれを聞いたら「??(ナンデ?)」って思うのは必至ですが。

君が代」は、天皇陛下のご長寿を願う、万世一系の天皇の御治世、すなわち日本が永く続くことを願うシンプルな歌です。日本の国歌としてこれ程相応しい歌詞はありません。何故なら、天皇は日本の「国体」だからです。それは時代がどんなに変わろうとも、その時代による人の価値観がどんなに変わろうとも、日本が日本である根拠だからです。日本の建国は初代神武天皇の即位であり、それから2600年余、そしてこれからも天皇が続く限り日本はずっと日本なのです。

天皇陛下は、国民一人一人の幸せを毎日祈られています。普段日常において私たちは天皇陛下のことをあまり考えないかもしれませんが、君が代を斉唱するときくらいは、天皇陛下に感謝の意を込めて、いつまでもお元気でいてくださること、天皇の御代(つまり日本)が永く繁栄することをお祈り申し上げることが国民としての最低限の志ではないでしょうか。